神戸地方裁判所 平成8年(わ)368号 判決 1998年10月13日
主文
被告人は無罪。
理由
一 本件公訴事実は、
「被告人は、
第一 みだりに、平成八年四月一九日午後九時四〇分ころ、兵庫県須磨警察署駐車場に駐車中の普通乗用自動車内において、覚せい剤〇・八二八グラムを所持した(平成八年四月三〇日付け起訴に係る公訴事実)
第二 法定の除外事由がないのに、平成八年四月上旬から同月一九日までの間、大阪府内、兵庫県内又はその周辺において、覚せい剤若干量を水に溶かして自己の身体に注射した(平成八年五月二四日付け起訴に係る公訴事実。平成一〇年七月一日付け訴因変更請求に係る訴因変更後のもの)」というものである。
二 被告人及び弁護人らは、本件の捜査における覚せい剤及び尿の取得の過程には令状主義の精神を没却するような重大な違法があり、これら覚せい剤及び尿並びにそれらについての鑑定書等はいずれも違法収集証拠として証拠能力がなく、排除されるべきであり、また、被告人の供述調書は、当時被告人が同棲していたA子を逮捕しないことと引換えに捜査に協力するとの取引の結果作成されたものであって、任意性がなく証拠能力が否定され、同様に排除されるべきであり、結局被告人は無罪である旨主張する(なお、被告人及び弁護人らは公訴事実第二についての訴因変更は、被告人の防御権を奪う不当なもので許されないとも主張している。)。これに対し、検察官は、本件において捜査手続に不適切な点があったことは否定し得ないが、もとより令状主義の精神を没却するような重大な違法が存したわけではなく、覚せい剤及び尿並びにそれらについての鑑定書等は証拠能力が認められる上、被告人の供述調書の任意性も認められ、本件各公訴事実は優に認められる旨主張する。
すなわち、本件の主要な争点は、捜査における覚せい剤及び尿の取得の過程に関する違法の有無及び程度であり、より具体的には、<1>ホテル「ユーズ甲野」駐車場における職務質問及び所持品検査等の違法、<2>須磨警察署への任意同行及び同署における取調べの違法、<3>須磨警察署における自動車内の検索の違法、<4>被告人と捜査官との間での前記取引の有無、<5>採尿手続の違法、などが問題とされている。以下順次検討を加える。
三 関係証拠を総合すると、本件捜査における覚せい剤及び尿の取得の経過に関し、以下の事実が認められる。
1 平成八年四月一九日、兵庫県須磨警察署地域課の捜査官らは、神戸市須磨区《番地略》所在のホテル「ユーズ甲野」の部屋のトイレに注射器が詰まっていたとの情報を得たため、覚せい剤取締法違反の容疑者が宿泊しているものとみて、複数名で同ホテルヘ赴いたが、同ホテルの駐車場に和歌山ナンバーの外車ポンテアック(以下「本件車両」という。)が長い期間駐車してあり、照会の結果、右車両が道路交通法違反(駐車違反)の未出頭車で、和歌山市内の暴力団関係の会社の所有であることが判明したため、さらに同署生活安全課の応援を要請し、最終的に同課保安経済係係長福田充宏警部補(以下「福田警部補」という。)の指揮の下、一〇名前後の捜査官が同ホテルの出入口付近に張り込んで、車の運転者がホテルから出てくるのを待ち受けていた。
2 同日午後五時ころ、被告人が同ホテル正面玄関から出て本件車両に乗り込もうとした際、前記捜査官らは、運転席に半分ほど体が入りかけた被告人を車から引きずり出し、被告人を多人数で取り囲んだ上、道路交通法違反容疑について質問するとともに、捜査官らに対しことさら攻撃を加えるような素振りが被告人に見られなかったにもかかわらず、同署地域課の岡部巡査部長において被告人のえり首をつかんで激しく揺さぶったため、被告人は気分が悪くなり地面に座り込んでしまった。この間、すでに別の捜査官らが本件車両内に勝手に入り込んで、車内の様子を調べていた。同署生活安全課保安経済係土肥重治巡査(以下「土肥巡査」という。)は、座り込んでいた被告人を抱えて起こし、その承諾を得ることなく所持する携帯電話と鞄を取り上げ、また、他の捜査官が後ろから被告人のポケット内の財布や免許証を無断で抜き取り、これを土肥巡査に渡したが、所持品から覚せい剤は発見されなかった。A子は、被告人に少し遅れて同ホテル一階に降りてきて、外に出ようとしたが、被告人が捜査官らに囲まれている様子を見て、同ホテル裏口から逃走を図ったものの、捜査官に呼び止められ、被告人のいる駐車場へと連れて来られた。A子は注射器の入ったナイロン製の袋を所持しており、右袋を被告人から預かった旨供述したので、捜査官らは被告人に関する覚せい剤取締法違反の容疑を更に強め、本件車両の検索を行うこととした。捜査官らは、被告人に対して、「車見るぞ。」と声を掛け、本件車両の検索に着手したが、被告人は、半ばなげやりに「勝手にせい。」などと答えていた。本件車両の検索は三〇分位かけて行われ、その間、被告人は本件車両から離れよう離れようとの素振りを示したが、捜査官らの説得で一応これに立ち会っていた。本件車両内から覚せい剤は発見されず、同日午後五時五五分ころ、被告人及びA子は、須磨警察署への同行を求められ、両名ともこれに応じ、被告人は、同署刑事課中井巡査部長が運転し、土肥巡査が同乗する本件車両で同署へ赴き、A子は岡部巡査部長の捜査車両で同署に向かった。
なお、職務質問の際被告人がえり首をつかまれ激しく揺さぶられたことについては、被告人は、えりをめくられて入れ墨が見えたことなど暴行の経緯、態様等に関し具体的かつ迫真性に富む供述をしているところ、被告人が捜査官に囲まれて地面に座り込んでいたという状況は、土肥巡査も認め、A子も現認するところであること、職務質問等に立ち会った土肥巡査は、当初被告人に対する有形力の行使について全く記憶がない旨供述していながら、その後、岡部巡査部長が被告人の肩に手をかけたことを認め、供述の変遷の理由につき尋ねられると、「(その捜査員の)名前は…出したくなかったんです。」などと同巡査部長の失態を擁護するかの如き供述をしていること等に照らし、かかる暴行があったものと認めるのが相当である。次に、捜査官らが被告人を本件車両内から引きずり出し、同車両内に勝手に入り込んで内部を調べたことについても、被告人の供述は具体的である上、本件当日ホテル「ユーズ甲野」で張り込みにあたった捜査官の人数が最終的には一〇名前後にまで達したことからすると、捜査官らは本件車両の運転者が覚せい剤取締法違反等の重大事犯の容疑者である可能性が高いと考え、その検挙に向けて相当に意気込んでいたことが推察され、現実に、捜査官らが被告人に対し前記の暴行を加えていることは、まさにかかる意気込みを裏付けるものとみることができ、したがって、被告人が本件車両に乗り込むのを現認するかのような行動に出たとしても決して不自然ではない。右事実の有無に関し、A子が同ホテル駐車場にいつ連れて来られたのかも鋭く争われており、この点被告人は、自分が職務質問を受けてからしばらくした後にA子が連れて来られ、そのときには本件車両の最初の検索はすでに終わっていた旨供述し、他方、福田警部補及び土肥巡査は、いずれも被告人に対する職務質問開始後すぐ(一分後位であるとする。)にA子が駐車場に来た旨供述している。確かに、A子の供述によれば、A子が同ホテル裏口から外へ出たのは、被告人が同ホテルを出て職務質問を受けた直後であったと認められるが、同女はその後捜査官に呼び止められ職務質問を受け、注射器の入ったナイロン製の袋を被告人から預かった旨供述して、これを捜査官に任意提出し、さらに本件車両の検索に立会いも求められるなどしていたもので、この間ある程度の時間が経過していると考えるのが合理的であるから、A子が駐車場へ連れて来られたのは、被告人の供述するとおり、被告人への職務質問開始後しばらく(七、八分程度)経ってからのことと認められる。これらの事実を総合すると、捜査官らが被告人を本件車両内から引きずり出し、同車両内に勝手に入り込んで、A子が連れて来られる前に同車両内部を調べた事実を認めることができる。さらに、被告人の承諾なく所持品検査がされたことについては、右所持品検査が先の暴行の直後に実施されていること、土肥巡査は被告人の承諾を得た上で検査を実施した旨供述するが、具体的にどのような言葉で承諾を得たかは忘れたと答えるなど、右供述は肝心な点が極めてあいまいであることに照らすと、前記認定のとおりの態様で被告人の承諾を得ずに所持品検査が行われたと認められる。ちなみに、被告人は、土肥巡査から鞄の鍵の番号を尋ねられてこれに答えているが、被告人が当時多人数の捜査官らに囲まれ、暴行を受けるなどしていたことを考えれば、すでに鞄を取り上げられ、観念して同巡査の要求に応じたものとみるべきであって、この点は所持品検査の承諾がなかったとの認定を左右するものではない。
3 本件車両は同日午後六時過ぎころに須磨警察署駐車場に到着し、被告人が車を降りるや否や、捜査官らが勝手に車に入り込んで、内部を調べ始めた。被告人はこれに異議を唱えたが、全く聞き入れられず、土肥巡査に直ちに同署二階の取調室に連れて行かれ、以後同巡査の取調べを受けることになった。しかし、右車両の検索によっても覚せい剤は発見されなかった。被告人は、取調べの当初より尿の提出を求められたが、道路交通法違反容疑以外の取調べには応じられないとしてこれを拒否した。そして、被告人は、一時本件車両を運転していたA子の弟に連絡をして道路交通法違反の嫌疑を晴らそうと考え、取り上げられていた携帯電話の返還を求めたが拒否され、引き続き弁護士への連絡を行うことを申し出たが、これも断られた。被告人が任意の採尿に応じる気配がなかったので、取調官らは、被告人に対し、強制採尿のための令状を請求するので待っておくように告げ、遅くとも同日午後八時過ぎ以降は、福田警部補ほかがいわゆる強制採尿令状請求に際しての疎明資料の作成、採尿を行う医師の手配等の準備作業をしていた。
なお、須磨警察署での本件車両の最初の検索の状況については、被告人の同署への同行に付き添い、同署到着後は被告人を取調室まで連れて行った土肥巡査において当然認識しているはずのところ、同巡査は、当初右事実を認めながら、その後覚えていないと供述を変遷させ、また、被告人から具体的にどのような言葉で承諾を得たか、その際被告人はどのような態度であったかについては全く述べることができないなど、その供述は極めて不自然であり、信用性に乏しく、被告人の供述するとおり(被告人は、当初右検索につき同意をした旨供述し、後に右供述を訂正しているが、これは、同署での最後の検索の場面と混同していたことが明らかである。)、同署到着後、被告人の承諾なく、立会いもなしに本件車両の検索が行われたと認めるのが相当である。
4 A子は、須磨警察署到着後、まず四階の取調室で岡部巡査部長の取調べを受け、任意に尿を提出し、さらに、同署生活安全課の執務室において、同課課長坂野宏警部(以下「坂野警部」という。)及び福田警部補から直接取調べを受け、本件車両内に覚せい剤がないかを追及された(坂野警部が自らA子の取調べを行ったとの点はA子の供述により認められる。)。A子は覚せい剤の所在につき確信はなかったものの、右両名から取調べを受け始めてから一時間ほどしてから、「コンソールボックス内のはちみつ入りのビニール袋に入った煎茶のティーバッグが怪しいのではないか。」と供述するに至った。そこで、坂野警部は、被告人に無断で、岡部巡査部長に本件車両内を見分させたところ、怪しいものは見当たらないとのことであったが、それでも他には考えられない旨A子が供述するので、同日午後九時ころ、再度同巡査部長に指示して、本件車両内から右ビニール袋を取り出して生活安全課執務室へ持ち込ませた。坂野警部は、A子を横に呼び、ビニール袋内のティーバッグの確認をしていたが、手触りが異質なティーバッグが一袋あったので、これを手で破ったところ、中から覚せい剤様の白色結晶粉末の入ったチャック付きポリ袋が発見された。
5 右発見直後、坂野警部、福田警部補ら居合わせた捜査官らは、右のような覚せい剤様結晶粉末の発見過程に法手続上問題があると感じたため、被告人を直ちに緊急逮捕することにちゅうちょを覚え、善処方につきあれこれ協議し、結局、前記ポリ袋に入ったティーバッグを元どおり本件車両内のコンソールボックスに戻した上、被告人の立会いを求めて改めて車両の検索を行い、その際、右ティーバッグを初めて発見したかのように装って被告人を緊急逮捕することに決めた。その後、被告人は駐車場に降ろされ、本件車両内の検索の承諾を坂野警部に求められた。これに対し、被告人は、「何回見るんじゃ。」などと反発していたが、最終的には、「勝手に見んない。」と答えた。そして、本件車両内の検索が行われ、ティーバッグ入り覚せい剤が発見されたとして、被告人は、同日午後九時四〇分、同署駐車場において緊急逮捕され、右逮捕に際して覚せい剤様結晶粉末が差し押さえられた。その後、緊急逮捕状請求の疎明資料として緊急逮捕手続書が作成されたが、覚せい剤発見の経緯に関する真実の記載はされず、被告人立会いのもと本件車両内の検索を行い覚せい剤が発見された旨虚偽の記載がされ、これに基づき緊急逮捕状が発付された。
6 その後被告人は再び二階の取調室に連れて行かれ、弁解録取書が作成された。担当は坂野警部であったが、被告人は、自分が逮捕されるのは仕方ないが、何とかA子だけは帰らせてやってほしい旨同警部に懇願した。坂野警部は、被告人が当初からA子は無関係である旨主張しており、また、被告人がなかなかの強か者であることから、A子を逮捕する事態となれば今後の被告人の取調べが難航するであろうことを憂慮し、それと同時に、A子に本件車両内の覚せい剤発見の過程の不手際を間近で見聞されていたこともあり、A子の尿から覚せい剤反応が出ている旨の報告を科学捜査研究所から受けていたものの、できればA子を逮捕したくないと考えた。そこで、坂野警部は、被告人に「認めたら女は帰したる。」と述べ、暗に被告人が捜査に協力すればA子を逮捕しない旨の取引を持ち掛けた。そこで、被告人はこれを了承して覚せい剤所持の容疑を認め、その旨の弁解録取書が作成されると、A子は直ちに帰宅を許された。
なお、被告人と坂野警部との間でA子を逮捕しないのと引換えに捜査に協力する旨の暗黙の取引があったと認定した理由は次のとおりである。坂野警部、福田警部補及び土肥巡査(以下三名を併せて「坂野警部ら」ともいう。)は、いずれも右取引の存在を否定するが、弁解録取書作成の際、被告人がA子を帰らせてやってほしい旨懇願し、これに対して、坂野警部がA子を帰す旨述べたことは坂野警部自身及び土肥巡査も認めるところである。そして、坂野警部らは、当時なるべくならA子を逮捕したくないという心境であったことを認める供述をしており、実際その後の経過をみても、須磨警察署捜査官らは、A子の尿から覚せい剤反応が検出され、同女に覚せい剤取締法違反の十分の嫌疑があり、いつでも逮捕することが可能であったにもかかわらず、逮捕状請求を被告人の第一回公判期日まで行わず、逮捕状取得後もその所在捜査をことさら行わず、逮捕状のいわゆる切替えを漫然と繰り返し、A子が被告人との面会のため拘置所を訪れていることを偶然知った検察官の指示でようやく同女を逮捕するに至ったことは関係証拠上明白である。この点、坂野警部らは、留置規則上、関係被疑者を同一署に留置できないので、被告人の移監が完了するまでA子の逮捕を見合わせていたとの趣旨の弁解をするが、かかる留置規則上の制約があってもA子を逮捕すること自体の支障になるとは思われないし、坂野警部自身、毎日のように被告人との面会に須磨警察署を訪れ、捜査官と度々電話連絡をしていたA子に対し、逮捕状を取る予定だから余り頻繁に捜査官と接触しないよう注意した旨供述していること、逮捕状が出ているから変なところへは行かないでほしいと同署捜査官らから言われた旨A子も供述していること、A子は被告人との面会のため拘置所へも足繁く通っており、このことを同署捜査官らが全く知らなかったとは考えにくいこと等にかんがみれば、坂野警部らの前記弁解は到底信用することができない。このように捜査官らがA子を逮捕することなく放置していたという事実は、前記取引があったことを推認する有力な根拠となるのではあるが、他面において、坂野警部らは、被告人との取引があろうとなかろうと、覚せい剤発見過程の不手際をA子に見られているという負い目があり、その意味でもA子を逮捕したくないという気持ちであったのだから、A子をことさら逮捕しなかった事実が認められるからといって、直ちにかかる取引があったとするのはやや問題があるようにも思われる。しかしながら、被告人は、取調べ担当の土肥巡査から、「A子を助けているのだから、その分こちらの言うように調書をとらせてほしい。」、「犯行現場の引き当たりも大阪まで行くのは面倒だから神戸にしてほしい。」などと頼まれこれに応じた旨供述しており、供述調書作成の経緯や犯行現場の引き当たり捜査の実施経過等につき関係証拠に照らして検討すると、供述調書の内容の合理性や、引き当たり捜査が真に被告人の指示に従ってなされたかにつき重大な疑問が残り、被告人が捜査官らの言うがままに調書を作成していったとの疑念を払拭できないのである(それ故、検察官も訴訟の最終段階に至って、覚せい剤自己使用の公訴事実につき、使用の日時及び場所に関する大幅な訴因変更請求を行ったものと推測される。)。そして、仮に被告人において捜査官らに対しかような便宜を図ったとすれば、それは、前記取引の結果であるとでも考えなければ理解することが極めて困難である。その他、坂野警部がA子を逮捕すると述べたことに対して、被告人が福田警部補や土肥巡査に激しく抗議したこと、被告人が須磨警察署でのA子との面会等に関し破格の待遇を受けていたこと等証拠により認められる諸々の事実も、すべて前記取引があったと考えれば合理的に説明することが可能であり、以上の事実を総合考慮すれば、被告人と坂野警部ほか捜査官らとの間で、A子を逮捕しないのと引換えに捜査に協力する旨の暗黙の取引が存在したことが合理的に推認されるというべきである。
7 被告人は、翌二〇日朝になって尿の提出を求められ、すでにA子も帰宅を許され、自分としても、暴行を受けてから一夜が過ぎて気持ちも落ち着き、これ以上抵抗しても強制採尿されるだけであるなどと考え、同日午前九時過ぎ、捜査官に尿を任意提出した。
四 以上の認定事実を前提に本件の捜査手続の適法性を検討する。
1 まず、ホテル「ユーズ甲野」駐車場における職務質問及び所持品検査の状況についてみると、前記のとおり、捜査官らは、被告人がホテルから出て本件車両に乗り込もうとするや、有無をいわせず車から引きずり出すとともに、同車に勝手に乗り込んで車内を検索し、被告人に対してはそのえり首を持って激しく揺さぶり、承諾なく所持品を取り上げるなどしたものであるが、当時被告人には道路交通法違反の容疑が存したものの、覚せい剤取締法違反容疑については、被告人と覚せい剤を結びつける客観的資料は何ら存しなかった上、被告人が捜査官らに対し何ら抵抗する素振りを示さず、凶器も所持していなかったことも併せ考えれば、捜査官らの右行為は、いずれも職務質問ないし所持品検査として許される範囲をはるかに逸脱しているものといわざるを得ず、明らかに違法である。A子が同ホテル駐車場に連れて来られた後は、同女が被告人から預かったとする注射器を所持していたことから、被告人の覚せい剤取締法違反容疑が濃くなったものと認められ、本件車両内を検索する必要が生じたことも理解できるが、これに対する承諾については、突如捜査官らから理不尽な暴行を受け、所持品を取り上げられるなどした被告人が、半ばあきらめの境地で「勝手にせい。」と述べたのみであり、検索の最中被告人が車から離れよう離れようとしていたことにも照らせば、右発言をもって検索につき真しな承諾があったとみることは困難であるから、右検索も違法との非難を免れない。
2 次に、任意同行及び須磨警察署での取調べの状況についてみると、被告人は本件車両の運転を捜査官に委ね、自らの意思で警察署に赴いており、また、注射器が発見されたこと等から覚せい剤取締法違反の容疑でも取調べが行われるであろうことを十分認識した上で同行に応じたとみられ、任意同行の経緯に関し格別違法の問題は生じないと考えられる。その後の同署における取調べについてみると、被告人に対し、二時間余りかけて尿の提出を促し、被告人がこれに応じる気配がなかったことから、いわゆる強制採尿令状請求の準備作業にとりかかった後、請求に至らないまま約一時間半を経過して緊急逮捕に至った点は、もう少し早い時点で右準備に着手すべきであったと思われるし、弁護士と連絡をとることを許さなかった点は、弁護人選任権に対する配慮を欠く措置として遺憾といわざるを得ないが、全体としてみれば、覚せい剤取締法違反の疑いが濃厚であった事情もあるので、被告人が事実上の逮捕状態に置かれたとまでみるのは相当ではなく、任意の取調べとして許容される範囲を逸脱したものとまでは決めつけ難い。
3 須磨警察署駐車場での本件車両の検索の状況については、同車両が同署に到着してすぐ、被告人の意思に反し、かつ立会いもなしに検索が実施され、さらに、坂野警部が岡部巡査部長に本件車両内の前記ティーバッグを確認させ、取りに行かせた際に計二回、被告人の全く知らぬ間に本件車両内が調べられており、これら計三回の検索に関して被告人の承諾のないことが明らかである(最後に被告人が立ち会って行われた検索も、その真しな承諾があったかは疑わしい。)。これは検索は、その態様等にかんがみれば実質的には刑事訴訟法上の捜索にあたるというべきところ、右三回にわたる無令状捜索により本件の覚せい剤がようやく発見されたのであるから、覚せい剤の発見過程には重大な違法があるものというべきである。そして、かかる無令状捜索により発見された覚せい剤を根拠に被告人の緊急逮捕がなされ、右逮補に際して覚せい剤の差押えがされている以上、被告人の身柄拘束及び覚せい剤の押収の手続きも違法性を帯びることとなるが、他方、覚せい剤の発見の経緯につき虚偽の事実を記載した緊急逮捕手続書が作成され、これを疎明資料として緊急逮捕状が発付されており、身柄拘束及び覚せい剤の押収手続の違法はかかる観点からも重大であるといわなければならない。
これに対し、検察官は、本件車両内から覚せい剤を発見した際の捜査手続に不適切な点があったことは否定できないとしながらも、本件車両に同乗していたA子が本件車両につき事実上の管理権を有していたと解し得る余地がないではなく、A子からの任意提出という手段が採り得ない状況ではなかった上、既に被告人が二回にわたり車両の検索を容認しており、三回目だけ拒否する理由は全くなく、捜査官らとしてもA子の供述を直ちに確認してみたいと感じて衝動的に対応してしまったまでのことで、もとより令状主義の潜脱などという意識があったものではなく、また、自動車は住居等に比してプライバシー侵害の程度は低く、しかも既にいったん検索がされていて、全く手の触れていない自動車をいきなり無断で検索する場合とは実質を異にし、被告人は任意同行時にはその運転を捜査官に委ねることまでしており、検索につき包括的承諾があったと評価し得ないではないこと等の事情も考慮して全体としてみるとき、覚せい剤押収の過程に重大な違法があったとは到底いい難いなどと主張し、被告人の緊急逮捕手続書についても、A子の供述に基づき、本件車両内から覚せい剤が発見されたので、被告人を逮捕したという根幹部分に虚偽は全くなく、逮捕が無効とされたり、勾留が違法視されるいわれはないと主張する。
しかしながら、車両内の検索について承諾があったかのようにいう点についてみると、A子が本件車両につき事実上の管理権を有していたことを認めるに足りる証拠は全くない上、前記認定のとおり、本件車両から覚せい剤が発見されるまでの間、被告人が本件車両の検索を一度たりとも真しに承諾したとは認められないばかりか、捜査の当初より、被告人の明示の意思に反し、あるいは被告人の全く与り知らぬところで車両の検索が重ねられているのであって、被告人が既にこれを容認していることを前提とする検察官の主張はいずれも失当といわざるを得ないし、任意同行時の状況から検索についての包括的承諾があったと評価することもできない。また、検察官は、緊急逮捕手続書の記載の根幹部分に虚偽はないとするが、本件では被疑事実の立証に不可欠な証拠が重大な違法のある捜査過程で発見された事実が秘匿されているものであり、仮に覚せい剤発見の真の経緯が令状担当裁判官に発覚した場合、捜索及び逮捕行為の適法性の判断いかんによっては緊急逮捕状が発付されない可能性も否定できないのであるから、かかる虚偽記載が身柄拘束自体を違法ならしめることとなるのは当然であって、検察官の論旨には到底賛成できない。
右に加え、捜査官らに令状主義潜脱の意識がなかったとする点については、覚せい剤発見後の須磨警察署捜査官らの対応、すなわち、坂野警部が本件の覚せい剤を発見した直後、右発見過程に問題があるとの認識から、その場に居合わせた複数の捜査官らが善処方につきあれこれ協議したこと、同署捜査官らは、覚せい剤発見過程の不手際が露見するのをおそれ、長期間A子を逮捕することなくことさら放置していたこと、本件で捜査官らが公判で証人として喚問されることになり、少なくとも同署生活安全課内部において、相談の上右不手際を口裏を合わせて隠ぺいすることが決められ、実際に土肥巡査と福田警部補は、当初公判廷において、本件の覚せい剤は被告人立会いのもとで本件車両を検索した際初めて発見された旨虚偽の証言をしていたこと、しかしながら、本件審理の途中(平成九年二月二六日)でA子が逮捕されるや、その次の公判期日(第一〇回公判期日)以降、「もう、そこの部分は伏せてはおけないということになり」(福田警部補の第一一回公判供述より)、以後この点の真相が語られるようになっていったこと等の事実にかんがみると、同署捜査官らが本件の覚せい剤発見過程の違法をいかに問題視し、これを隠ぺいしようと躍起になっていたかが明らかであり、右捜査手続の違法が極めて重大であることは、当初より捜査官らも十分認識していたと認められるのみならず、更にすすんで前記ホテル「ユーズ甲野」駐車場における職務質問や所持品検査の態様等も併せ考えるならば、捜査官らにおいて令状主義の精神を意に介さず、あるいはこれを潜脱しようとの意図があったかとの疑念さえも否定しきれない。結局、覚せい剤の発見及び身柄拘束の違法に関する検察官の前記主張は、いずれも説得力を有しないというべきである。
4 被告人の採尿の手続は、右の違法な身柄拘束状態を直接利用して行われたものであり、被告人は、その前日は尿の提出を頑強に拒んでいたにもかかわらず、逮捕後はもはや抵抗しても無駄であると考えて採尿に応じたもので、違法な身柄拘束との因果関係を優に肯定することができるから、右採尿手続は先行手続の違法性を強く承継すると考えられる。また、被告人は、前記のとおり、既に捜査官らとの間でA子を逮捕しないのと引換えに捜査に協力する旨の取引を行っており、その協力の一環として尿の提出に応じたが、少なくともその疑いがあり、かかる不当な利益誘導に基づく任意提出の手続は、その任意性を欠くか、任意性に疑いがあるものといわざるを得ないから、その意味においても、採尿手続は違法性を帯びると解される。
五 そこで、進んで証拠排除の当否について検討すると、本件の捜査における覚せい剤の取得の過程には、前記のとおり、無令状でかつ被告人の承諾なくして行われた捜索により発見され、これに基づく違法な緊急逮捕に際して押収された等の点で、令状主義の精神を没却する重大な違法があり、採尿手続についても、右の違法な身柄拘束状態を直接利用して、かつ不当な利益誘導により尿が提出された疑いがあり、同じく令状主義の精神を没却する重大な違法があり、これらに加えて、先にみたように、本件捜査は全体として違法の程度が大きい上、それら違法を隠ぺいすべく公判廷において偽証するなど、捜査官らにおいて憲法及び刑事訴訟法の規定する適正手続を軽視する姿勢がはなはだしいのであって、これらを看過することは、違法捜査を助長する結果をも招きかねず、将来における違法捜査抑制の見地からしても、本件覚せい剤及び尿を証拠として許容することは到底許されず、したがって、その鑑定結果である鑑定書も証拠とすることが許されないと解するのが相当である。
以上検討したところにより、当裁判所は、チャック付きポリ袋入り覚せい剤結晶粉末一袋(平成八年押第八八号の1)及び鑑定書二通(甲五、一五。右は証拠等関係カードにおける検察官請求証拠の番号である。)を本件被告事件の証拠から排除すべきものと思料する。
六 そうすると、本件各公訴事実を裏付ける証拠は被告人の自白のみであるが、これを補強する証拠は全くないことに帰するから、その余の点につき検討するまでもなく、公訴事実いずれについても犯罪の証明がないものとして、刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言渡しをする。
(裁判長裁判官 島 敏男 裁判官 足立 勉 裁判官 深山はる子)